現代も続く魔女裁判=痴漢冤罪倫理観は時代で変わるのか?

Twitterで書きましたが、長いのでまとめました。

 

倫理観は予め決定されたものでは無く。
時代や環境によって変わっていくもので、決して無くならない説。

 

中世の世界では魔女裁判は正義とされ、肯定されてきた行為。
だが、その実。

 

魔女で無い事を潔白するには悪魔の証明をしなければならなかった。
例えば、熱した鉄を身体に押し付け、それが数日後に残っていたら魔女であるとか。
拷問をして、痛みを感じたら魔女であるとか。
そんな理不尽が倫理観の正しさとして肯定されていた。

 

だが、現在ではごく一部の地域を除いて、魔女裁判はあってはならない存在とされている。

 

だが、ここからが問題である。
魔女裁判は現代ではほぼ無くなったと先述したが。
現代でもそれは横行している。
それの最たるものが痴漢冤罪である。

 

痴漢冤罪に巻き込まれた場合、痴漢行為をしていないという証明をしなければならない。

 

だが、言葉だけでの証明では一切通用しない時代なのだ。
あまつさえ、駅員に連れて行かれたら最後、逃れる事は出来ない。
しかも、事情を良く分かっていない無駄な正義感を持った人物がそれに加担をしてくる。

 

これでは冤罪という事を証明する事なんて出来るわけが無い。
これが、現代でも魔女裁判が日常的に行われているという事に繋がっているのである。
日本の技術力は上昇傾向ではあるが、倫理観に関しては中世の頃とほとんど変わっていない。
そんな時代だと個人的に思ったのです。

 

カテゴリー:日常のあれこれ